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被差別部落民は犯罪とヤクザに親和的か:ラムザイヤー論文批判として

更新日:10月6日

小早川明良 社会理論・動態研究所研究員



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Burakumin, the Criminal and the Yakuza- A Critique of the Discriminatory Thoughts of Mark
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始めに

 この小論は、マーク・ラムザイヤーへの批判である。筆者は、すでに、ある研究紀要に英語論文を投稿し、その一部で彼の誤謬を批判している。その論文は、現在査読中である。それは、ラムザイヤー批判に限定した論文ではないが、ラムザイヤーが、エドワード・サイードによって明らかにされた意味におけるオリエンタリストであり、西欧的知の権力によって被差別部落民を愚弄し名誉を毀損することを批判している。この小論は、その査読中の論文と重複する部分もあるが、主に、被差別部落民と犯罪率にかんする議論のみを取り出して論じた。批判のためのデータを補強するとともに、必用な加筆修正を行い邦文と英文で公表される。

 科学は誰のためにあるのか。少なくともマイノリティを絶望させるためにはない。マーク・ラムザイヤーの論文で傷つく被差別部落民が多くいることを研究者は知らなければならない。

被差別部民の犯罪率は高いのか

 マーク・ラムザイヤー(2019:49−59)は、被差別部落民の犯罪率が高いと主張する。そのために、「部落民PC」(部落民の数を全人口で割ったもの)などを作り、人口密度、下水道率、県民所得、その他のデータを並べ「比較」し、それらからその地域の犯罪の発生や麻薬使用慣習化と相関するように見せようとしている(Ramseyer, 2019:44−7)。また、賀川豊彦からの引用をもって論証しようとしている。前者については、被差別部落民が多く住む地域(それは都市部であるが)は犯罪率が高い、ゆえに部落民の犯罪率は高い、と言う三段論法にすぎない。したがって彼の手法は何の意味もない。犯罪率とは、人口10万人あたりの犯罪認知数1であって被差別部落民についてのそのようなデータは皆無である。

 賀川豊彦の資料は、引用するには注意を要する。なぜなら、賀川は、もともとスラムや被差別部落を治安上要注意な地域とするステレオタイプで観察していたからである。賀川にとって貧困2は犯罪と同義であり、近代都市が、「特殊民」を「犯罪人種」として「残る他は消滅させるであろう」[賀川1917:56]とのべていた。したがって、ラムザイヤー自身も根拠なくアメリカの「クラッカーズ」(Ramseyer, 2019:2)になぞらえ、逸脱者として印象づけようとする。日本のばあい、統計社会学的手法を用いた犯罪社会学研究は、マイノリティや貧困率と犯罪発生(とくに傷害と窃盗)の間に重大な相関はなく、貧困の犯罪への影響があったとしても、それは必ずしも同時的ではなく、人生の過程で漸次的に現れてくる (津島,2010:15) に過ぎない。また、ロバート・キング・マートン (Merton, 1968:144) の以下の議論を参照するなら、マイノリティや貧困者のみに焦点をあてて、犯罪の相関関係を観察することに意味がないことが明らかになっている。


貧困、スラム状態が「犯罪行動の『原因』として、下層階級の地位と強く結びついているとされた。ところが一度犯罪概念が明確にされて、刑法違反を意味するようになり、実業界や自由職業の方面における『ホワイトカラーの犯罪』——これは下層階級の違反と比べて犯罪統計に現れてくることがずっと少ないのであるが——まで含むようになると、社会的地位の低さと犯罪の間には想定されていた結びつきはもはや妥当しなくなるだろう」(Merton ,1968=1961:83)


 ところでラムザイヤーは、1921年内務省資料を使用している(Ramseyer, 2019:59-60)。この頃の行政データは決して正確ではない。それでも同時期の別の公的データを使用して可能な限り被差別部落の人口と検挙者の比率について述べておこう。議論は、被差別部落民に犯罪者が多いか少ないかになっている。ゆえに被差別部落民の犯罪者数と非被差別部落民の犯罪者数を比較するのは有効だと考える。

 まず、筆者が研究してきた広島県のデータを示したい。表1は、1917年の広島県内市郡別の被差別部落で検挙された人員と人口の比較である。この時期の広島県全体の人口は、広島県統計資料によると1,695,844人で 検挙された人は17,338人であった。つまり検挙された人の百分率は、1.02%であった。これと各市郡のそれを比較すると19 市郡の内8郡は高い割合になっているが、11市郡は低い。広島市の場合、実際の人口は 6,000人を超えているので、その割合はさらに低くなる。このデータからは、被差別部落が全体として犯罪に親和性をもつとは言えない。一般的に都市部は高い値を示すと言われるが、このデータを見る限りでは、そのようにも言えない。

 次に、兵庫県の例を示しておく。

 兵庫県内の被差別部落全体を見ると1921年の現住人口は、107,608人である。たいして検挙者数は、1,250人(兵庫県内務部社会課,1921:340-1)で比率は、1.16%となった。これに最も近い1924年の国の人口は、58,876,000人、刑法犯は433,879人で、その割合は0.74%である。この例では被差別部落内の検挙された人の割合の方が高い値を示す。しかし、敗戦後の神戸のある被差別部落の検挙者は、人口18,611人(B町地域改善対策委員会,1949:412-3)にたいして検挙者は83人 (B町地域改善対策委員会,1949:402)であった。100分比は0.446%になる。戦後の刑法犯の認知件数は,世情の混乱を反映して,1949年に160万3048件に達した。この頃が犯罪認知のピークであった。検挙者件数は、約92万5996件で、検挙人員は、58万5329人であった。全人口は、81,773,000人であった。その割合は、0.716% であった。

 以上から推測できることは、要するに、被差別部落、貧困と犯罪一般の間に相関関係はない。その時代、法の改正、地域、さらには偏見を容認する文化的な状況によって犯罪率は大きく変動する。犯罪の概念も一定ではない。統計の取り方にもよる、したがって、特段に被差別部落において犯罪者が多いと言える確たる証拠はない。

 こうしたある集団の傾向をはかるデータは、比較的長期にわたる計測が必要である。この観点からは、ラムザイヤーが使用した内務省データにも筆者が使用したデータにも疑問符がつくことは銘記されなければならない。にもかかわらず、ある傾向を導き、それが全体だと主張することは、本質主義以外の何ものでもない。


ヤクザと被差別部落

 被差別部落出身のヤクザのストーリーを面白おかしく書く著作家がいる。また、かつてヤクザであった人が部落解放運動で社会に復帰したストーリーもある。だが、それは極めて例外的ケースである。特定のケースが何度も語られ、言説が再生産され増幅されてきた。

筆者は、ヤクザ、またはヤクザであった人に興味をもってインタビューするために探し求めたことがある。ようやく逢うことができた人は、非常に裕福な家庭の青年だった。貧困ではなく、単に任侠道へ憧憬がヤクザ世界に足を踏み入れる契機だった。彼が足を洗った理由は、部落差別だった。ヤクザの世界もヒエラルキーによる厳しい統制があり、酷い部落差別がまかり通っていたという。それは厳しい身分社会としてのヤクザ世界を想像すると納得のいく話である。ヤクザの親分がしばしば、彼らが行き場を失った被差別部落民や在日朝鮮人の受け皿になっていると言ってきた。しかしそれは、 彼らが貧困者やマイノリティから生き血を吸っていることを自己合理化のためにデッチあげたに他ならない。デビット・カプランが一切のデータを示さないで、山口組構成員の70%は被差別部落民と述べたことをそのまま鵜呑みにしたラムザイヤー(Ramseyer& Rasmusen 2018:203)には研究者の矜持があるとは思えない。

 もしも、ヤクザ内の部落出身者が分かるというなら、それこそ大問題である。誰が、どのようにして調査したのか。単なる印象ではなく、言説でもなく、また孫引きでもなく、その正確な公式の一次資料を示すべきだろう。

もしも、日本における犯罪と犯罪組織(Criminal syndicate)を論じるなら、その前提事項がいくつかある。その重要な一つは、ヤクザ組織と政治の関係である。また、ヤクザ組織とマートンが言及したホワイトカラー、要するにビジネスワールドや政治世界との関係である。

 岩井弘融(1969:509-63)は、ヤクザの大親分と政界の親密な関係を克明に記述する。また、岩井は、日本の近代化以降、敗戦前、敗戦後を問わず、筑豊炭鉱地帯に炭鉱経営者と中央、地方政界と暴力団が結びつき、資本の利益独占と労働組合の弾圧に一体となったことを詳細に明らかにした。岩井のその大著において、被差別部落と犯罪については、記述されない。

 政界とヤクザ集団との結びつきは、明治維新に遡る。戊辰戦争などの明治政府軍と旧幕府軍の戦争で、維新政府側が清水次郎長という博徒の大親分とその一家を、幕府側が黒駒勝蔵とその一家を、兵站や世情の攪乱に動員した (高橋,2010:133-67)。勝者は敗者を処刑にする。これは、世の習いであった。次郎長一家は、その後勢力を拡大する。そして、政界とヤクザの結びつきは、今日にまで至る。


スラムと被差別部落

 ラムザイヤーは、スラムと被差別部落を混同している(Ramseyer, 20192:21)。「あいりん地区」の性格を理解すると混同を避けることができる。「あいりん地区」は、釜が崎と呼ばれる「寄場」である。日雇い労働者が全うに生きる街である。彼らは、資本、ヤクザから暴力的に搾取された。しかし、敢然と闘い、傷つきながら生き抜いた。そこは、家族とともにいる寄場の住人は極めて少なく、単身の壮年の男性が構成する街である。ゆえに一般的スラムとも被差別部落とも構造がことなる(青木,1989:51−2)。また、木賃宿で暮らすため、その意味でも被差別部落と異なった社会的特徴をもっていることになる。そして、被差別部落との間には一定の軋轢があった。

 ラムザイヤーは、大阪の名護と言う地域も被差別部落であるかのように取りあげている。名護はかつて存在したスラムだが、明治中期のコレラエピデミックを契機に解体されてしまった(加藤,2004:2-5)。ラムザイヤーは、ジャーナリスト、鈴木梅史郎3の文章を引用して名護が重大な犯罪エリアだと述べる[Ramseyer, 2019:48]。被差別部落ではない地域を議論に入れることは、このばあい、致命的な瑕疵である。


訓育と被差別部落

 貧困状態にあった被差別部落においても、働き、稼ぎ、家を購入する多くの人びとが認められる。それは家族があるからだった。

  舞鶴市の近代以降成立の被差別部落では、女性と子どもしかいないところを暴力団が襲撃した。彼ら彼女らは、怒り心頭になるが、騒動になることを避けて、そこから逃れた。そして別の場所にコミュニティを形成する。軍港の荷役4を中心に必死に働き、資金を貯めて自宅を建築する。決して高額の所得を得たのではない。爪に火をともすように蓄えた結果であった。暴力団との争いを避け、労働で忍耐を貫いたのは、家族という存在があったからである。被差別部落は、例外なく家族を単位としたコミュニティであり、それは良くも悪くも、家族制度にもとづくデシプリン(小早川,2019:64-8)による抑止力となった。


言説と監視=結語にかえて

 被差別部落と犯罪について存在した事柄は、言説と貧困を犯罪と見做す政策であった。

被差別部落は、つねに予断に基づいた監視対象だった。例えば1942年呉市で起きたバラバラ殺人事件は、被差別部落に犯人がいると見込んで集中的に見込み捜査を行った。これは、当時の警察権力と市民の被差別部落にたいする差別的まなざしを顕著に物語る。「このような地区だから、犯人がいるだろう」(小早川銀宗,2001:131)という差別的意識が定着していたから可能であった捜査といえる。しかし、犯人は被差別部落ではない地域の人間だった。当時の警察は、冤罪5が発生することをお構いなしで捜索した。

 大都市部の一部でしかない狭隘なコミュニティB町には、4カ所派出所があった。また、1918年大阪に組織された方面委員会が被差別部落に関与したのも同様である(小早川,2017:84-7)。広島のA部落の周辺にも3カ所の派出所があった。これらはつねに被差別部落を予断と偏見のもとで監視をしていた。しかし、犯罪は多くはなかった。

 とくに敗戦戦前の警察機関は、衛生、建築、労働、金融に関することがらも所掌していた。これは常識である。暴利の取り締まりまでおこなった。したがって、犯罪にかんするデータを現在の警察制度あるいは欧米の警察制度や価値観を参照して評価することは正統であるとは言えない。この意味でも、マートンの議論は有益であると考える。逆に、マーク・ラムザイヤーの議論は、暴論としか言いようがない。



表1 被差別部落人口と検挙者(広島県庁,1920:58)

※人口は、被差別部落内に住むわずかな人口も含んでいるが、検挙者率には大きな影響はない。



校注

1 2018年のデータで、各国の殺人発生率(人口10万人辺りの犯罪者)をみると、日本は、0.26で154番目になっている。日本より豊かなラムザイヤーのアメリカは、4.96で60位であった。日本は、敗戦後1949年をピークに、その後犯罪は減少し続けた。バブル期に入るとやや上昇したが、殺人、強盗の認知も減少してきた。この日本で犯罪多発を社会問題として研究する意味はなになのか。日本の被差別部落では、なぜ犯罪が少ないのかが本当の学術的テーマになる。

2 誤解を解きたい。被差別部落民に貧困が多いということ自体は間違っていない。しかし、富裕層も少なくない。貧困問題の議論は重要だが、それがすべてだとすることは、本質主義の一つである。言うまでもないが、本質主義が、あらゆる差別を拡大再生産に与している。

3 鈴木梅四郎の1886年の原資料(http://www.kamamat.org/yomimono/sisatu-nagamachi.html)を確認すると、総人口約8,532人に対する検挙者は、年平均108人である。検挙者率は、約1.27%となる。Ramseyerは、それを無視して5年7月の累積である603人を提示して「犯罪の巣窟」感を演出する。このまま累積すると検挙者の人数が、居住人口の総数を超えるのに時間は要さない。この当時の警察統計は、極めて不十分不正確であり、犯罪率を知ることは不可能である。しかし、人口8,532として10万人あたりを計算すると1,265人になる。警察白書のデータをつかって出した全国平均の推計615人と比較すると約2倍になる。これが都市部として特段に高いとは思えない。

4 海軍鎮守府のあった舞鶴市では、被差別部落の人びとは、普段は海運業者のもとで港湾荷役に従事した。ひとたび海軍からの需要があると、軍用品の積み込みに動員された。彼ら彼女らは、海軍と直接契約する業者のもとでプールされた。被差別部落内に飯場が形成され、労働者の集積がおきた。一方で、住宅をもつ労働者の出現は、労働力の流動化を妨げ、海軍と資本に好都合な固定的な低賃金の労働者の安定供給を意味した。

5 国内最大規模であった呉警察署の捜査の強引さは、一般的な状態だった。1922年には、刑期終了後、冤罪であることが明らかになった事件があった(弘中, 1953:405-13)。また、無宿の人びとを、逮捕して強制的に原籍に送致するなど、徹底して弱者を排斥した。


<参照文献 はPDFに掲載されています>



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ラムザイヤー論文に対する論文掲載

査読論文ジャーナル(オンライン)である「アジアパシフィックジャーナル」に、ラムザイヤー論文に関する多くの論文(一部声明文もあります)が掲載されています。 アジアパシフィックジャーナルのウェブサイトはこちらです https://apjjf.org/2021/9/ToC.html